北京旅行記の第18回目、北京雑記帳その二と題して、滞在中に見聞きしたことの中から心に残った話題いくつかを書きます。

1.バスの車内で・乗客と運転手の口論


 ある日のこと、ホテル近くの停留場からバスに乗りました。
発車して早々、その事件は起こりました。少なくとも私たちには事件と映ったのですが、もしかすると北京ではこのような出来事はそんなに珍しい事ではないのかもしれません。
一つ目のバス停で乗客が数人乗り降りし、バスは発車します。そしてちょっと走ったところで赤信号になりバスは停車しました。すると前の乗車ドア(中国では原則的に前のドアから乗る)をドンドン叩く人がいます。女性の運転手がドアを開けると、見たところ40才ぐらいの男性が乗って来ました。そしていきなり目の前にいる女性運転手に向かって大声で怒鳴り始めました。
早口なのでしゃべっている意味の三分の一も理解できないのですが、察するに、さっきのバス停で決められた乗車位置で待っていたところ、バスがずっと手前で止まり、幾人か乗り降りがすんだあと、自分の前では止まらずに走って行ってしまった。
自分は急いで後を追いかけ信号待ちでバスが停車したので乗ってきた、乗客を乗せずに通過するのはけしからん!
どうも話の趣旨はそんなところらしいのですが、それにしてもその抗議の激しいこと、運転手に向かってたいへんな剣幕で怒鳴り続けます。
運転手に近い席に座っていた私たちは、目の前で始まった突然の喧嘩さわぎにびっくりですが、驚くのはこの時の女性運転手の対応で、乗客の男性にぜんぜん負けていないのです。
彼女も運転を続けながら、大声で反論します。バスはどんどん走っているのに、時折男性のほうに顔を向けて激しい口調で反論します。
この運転手の強い態度が男性の怒りに油を注ぐことになったみたいで、ほぼ満員の車内の乗客のことはお構いなしにますますののしり合いがエスカレートします。
 問題はどちらの言い分が正しいかより、バスが走行中だということです。口論しながらも運転を続けているので危ないことこの上もありません。
たまりかねて一人の年配の男性がなだめに入ります。怒り狂っている男性客に向かって「まあまあ、もういいじゃないか」、と話しかけますが男性はおとなしくなるどころか、いっそう声を荒げて怒鳴るばかり。
と、今度は女性客の一人がこの男性に向かって指差しながら抗議を始めました。
その声と顔の表情の激しいこと、「運転中なのに危ないじゃないか、他の乗客の迷惑も考えるべきよ」彼女の言っている内容はだいたいそんなところでしょう。すると車内のあちこちから次々と声が上がります。ほとんどは女性です。「そうよ、そうよ、まったくいい迷惑なんだから、あんたなんかすぐ下りてしまいなさいよ。」そんな感じでしょうか。
バスの前のほうで一人の乗客から始まった騒ぎはこうして車内のあちこちに飛び火して、喧々囂々そのけたたましいこと、日本では経験したこともないし、ありえない情景に私たちは当事者たちの顔をあっち向き、こっち向き眺めてビックリするばかりでした。
 結局騒ぎがまだ終わらないうちに、私たちが下りるべきバス停に着いてしまったので、この騒動の結末がどうなったかは分かりません。
ただ、この時見聞きした運転手と乗客たちの様子から推測するに、こうしたことは日常茶飯事まではないにしても、北京のバスでは時に起こっているのではないか、そしてそのもとになっているのは、いわゆる北京っ子かたぎと言う性格から来ているのかな、そんな気がしました。
正義感が強く、喧嘩っ早い江戸っ子の気性とも通じるものを感じたわけです。国は違っても、長い歴史を持つ首都に住む庶民の中に育った、共通の心意気を感じたような気がします。

2.マナーについて


 中国では一般に、バスや電車に乗り降りする際のマナーは残念ながらよくありません。乗車する客が並ばない、降りる人がいるのにどんどん乗って来る、など先進国では見られないマナーの悪さがまだまだ残っています。
しかし今、北京では来年オリンピックが開催されることもあり、行政も市民のマナー向上に相当力を入れているようです。
 その一つが地下鉄のプラットフォームに指導員を配置して、乗客を乗車位置に並ばせ、下りる人が全部下りてから乗車することをかなり厳しく指導しています。
見ていると指導員のいる駅でのマナーはかなりよくなっているのですが、全ての駅でやっているのではないので、指導員がいないところではまだまだ以前から見られるよくない乗車マナーが見られます。
きちんと並び、降りる人がすんでから乗車するようにすればみんなが楽だし、気持ちがいいのに、なぜ中国の人々がこの基本マナーが守れないのか、不思議でしようがありません。
 私の想像ですが、かつて中国の社会が今よりはるかに経済的に貧しかった時代、人々は他人のことまで思う心の余裕がなかった、また文化大革命で他人を信用できなくなった、そんな心理的悪弊がいまだに尾を引いているのではないでしょうか。
 しかし、そんな悪いマナーが見られる一方で、まったく正反対の一面もよく見ることがあります。
それはとくに若い乗客が男女を問わず、お年寄りや、妊婦、小さな子供連れの乗客、そして身体が不自由な人に対してとても親切で、そんな人を見かけるとすぐに立って席を譲ることです。
私たちも今回の旅行では何度となく若い人たちから席を譲ってもらい座ることができました。
自分より弱い立場の人を見ると、あっさりと席を譲ってくれる、では、乗車時の感心できないあのマナー、あれはいったい何だったのか、これがじつに不思議です。
車内での親切な行為だけでなく、北京で出合った人たちは、ほかの場所でも親切な人が多く、とても好感が持てました。ただ親切であるだけでなく、とくに若い世代の多くは、どんな場所、場面でも行動がかなり洗練されて来ている印象を受けました。日本の若者が逆に学ばなければいけないことが多くありそうです。
 ただし、一方ではゴミが多く落ちていたり、道端や公園の中でタンやツバを吐く人もまだまだいます。また喫煙者が多く、そのマナーも悪い人がいます。
マナーのよい人、悪い人をいろいろと見ていると、どうもマナーの良し悪しは生活のレベルと深く関係があるような気がします。これはどこの国にも共通することだと思います。
今の中国の社会問題の一つとして収入の大きな格差問題が存在します。都市と農村、沿海部と内陸部、高学歴者とそうでない人々、こうした格差が今の半分以下になった頃、中国の人々のマナーはかならずよくなっているのではないでしょうか。

3.160円の傘は高いか、安いか?


車やバスが多い、ホテル近くの大通りの写真  北京旅行の実質最後の日は朝から雨となってしまいました。残念ながら予定していたスケジュールをすべてあきらめ、ホテル近くのデパートなど付近をウロウロしたり、帰りの荷物を整理するだけの一日となってしまいました。
ホテル前の大通りは幅が40メートルほどもある上にバスや車、バイクなどの交通量も多くて、歩いて渡るのはたいへんです。でもちょうどうまい具合にすぐ先へ行ったところに向こう側に渡るための地下道がありました。
道の反対側には食品スーパー、コンビニ、デパートなどがあるので私たちはこの地下道を良く利用したものです。
 雨となった最後の日、この地下道を歩いていると、すぐ横を数人の男性が私たちと平行して歩いていました。
そして「雨が降らなければこんな傘を買わずにすんだのに。高くて腹が立った。」と言うような会話をしています。急な雨でやむを得ず近くの店で折り畳み傘を買ったらしいのですが、足元を見られて高く買わされたとぼやいているようなのです。

 何にでも興味を持ち、野次馬根性とあつかましさを発揮する私は「すみません、旅行中の日本人です。今あなたが買ってきたその傘はいくらだったのですか?」と聞いて見ました。
見ず知らず同士なのにこんな質問をいきなりされて、日本人ならどう反応するでしょうか。
「変なやつだな、答える必要ないよ」と思う人がほとんどでしょうが、北京の地下道でのその男性の反応は違っていました。
「よく聞いてくれたよ。こんなちゃちな傘が1本1元(約160円)だよ、まったく馬鹿にしているよ。日本人だって?日本だといくらで買えるんだ?」とまあこんな調子で親しく不満を語りかけてきます。まるでずっと知り合いだったよう雰囲気です。
「日本だと最低でも500円、その傘だと700〜800円かな?」と答えると、「ほんとー?そんなに高いの、でも日本人は皆金持ちだからそれでいいんだよ、俺の収入ではこれは高すぎる。」と言います。
そうなんです、まだまだ平均的な収入がだいたい日本人の四分の一ぐらい、農村からの出稼ぎ者だと事情はもっと厳しいので、1本160円の傘は私たちの感覚では考えられないほど高価なものなのでしょう。
地下道の突き当たりがTの字になっていて、そこで私たちは左右に分かれます。「さようなら、元気でね。」、「中国を好きになってね。」私たちはそう言いあって笑顔で両方の階段へ別れました。

4.英語での接客


 来年のオリンピックでは、北京はもちろん中国には多くの外国人が訪れることになるでしょう。それを見越してのことだけではないと思うのですが、今回いろいろなところで店員さんたちが英語で接客しているのを多く見聞きしました。
ホテルのフロントは当たり前として、例えばチェーン展開をしている中・洋折衷のしゃれた喫茶店や街のレストラン、観光地の売店などでは従業員がすぐに英語で話しかけてきます。
街で道を聞いたりする時もそうですが、どちらかと言うと若い人たちはかなりの率で、結構上手な英語を話せるようです。
 滞在最後の頃、ホテル近くに視覚障がい者が働くマッサージ店があるのを知り、出かけてみました。店のオーナーは中国語でしたが、私を担当してくれた全盲の若い男性は、仕事の途中も英語でいろいろと話しかけてきました。私が「どうやって英語を勉強したの?」と尋ねると、「テープ教材で勉強している」と答えが返ってきました。
外国語は日常生活で使わないとなかなか身につかない、と言われますが、要は言葉を学ぶ「やる気」が決め手になるのではないかと私は思っています。
毎回中国に出かけるたびに強く感じることは、人々の生きるエネルギーの強さ、たくましさです。街なかのお店で店員さんたちが接客で話す英語を耳にするたびに、ここでも私は中国の人々の向上心の強さ、バイタリティを強く感じました。

(第18回 北京雑記帳その二 おわり)
次回は私の大好きな場所、ペット市場へ出かけた時のお話です。
引き続きご愛読のほどよろしくお願いします。


花鳥市場へ続きます。
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