北京旅行記の第16回目 頤和園(いわえん)、その二です。

世界遺産の皇室庭園に行った時の続きです。
玉瀾堂(ぎょくらんどう)の庭に立ち、西太后によって不運で短い生涯を閉じることになってしまった光緒帝をしのんだあと、私たちは次に、今回の頤和園訪問で見てみたい場所の一つである「長廊(ちょうろう)」に足を進めました。
長廊とは文字通り長い廊下で、前にお話した天壇公園にも似たようなものがあります。
本来は建物をつなぐ通路のようなものですが、ここの長廊は規模がまるで違います、全長が700メートル以上もある美しい屋根つきの廊下で、その天井部分と梁に渡された板の部分に極彩色で描かれた約8000枚もの絵があります。
別の説では14000枚とも言われているこれら無数の絵は、中国古典文学、歴史上の物語、山水、花鳥を題材としています。
1枚の絵の大きさは約1平方メートルぐらい、基本的には下部が長円形の形をした中に、風景と人物、動物、草木が伝統的な技法と色使いで描かれていて、一枚一枚にストーリーがあると言われています。
この長廊は、絵が描かれた廊下としては世界でもっとも長いものとして、ギネスブックにも登録されているそうです。
美しいのはこれら驚くほど多くの絵だけではなく、柱や梁、天井を支える垂木にも彩色が施されていることで、昨2006年に修復が完成した今、急いで歩いて通り過ぎるのは絶対にもったいない場所となっています。この美しい長い屋根つき廊下は湖に沿って建てられていて、美しい昆明湖の風景が目の前に眺められる絶好の位置に配置されています。
西太后はここ頤和園を夏の避暑地として愛用していたそうで、頤和園で過ごす時には毎日この長廊を散歩するのを楽しみにしたと言います。もっとも、散歩と言っても自分の足で歩くのではなく、恐らく使用人たちが担ぐ輿(こし)に乗って移動したのでしょう。
ちなみに西太后がなぜ自分の足で歩かなかったと言う話になると、それは彼女が纏足(てんそく)していたから、と考える人が多いかも知れません。しかし、満州族の女性は基本的に貴婦人と言えども纏足はしなかったと言う話をどこかで読んだことがあります。
実際に西太后は纏足はしていなかったそうですから、大勢の側近と使用人を引き連れ、輿に乗ってお気に入りの長廊を毎日通ることは、楽しみな日課であると同時に、彼女の絶大な権力とわがままぶりを誇示する舞台の一つとしての意味もあったのでしょう。

頤和園・長廊の屋根の下に描かれた絵の写真 余談はさておき、今回私は長廊に描かれたこれらの絵をゆっくりと見てみたい、そう思って楽しみに来てみたのですが、実際にはあまりにも数が多すぎて、それら全部を一枚一枚ゆっくりと見ることなどとてもできないことでした。
でも鳥好き良ちゃんとしては、せめて鳥が描かれた絵だけでも全部見たい、写真に取りたいと頑張ってみました。それでもそれらを全部見ることができたか、写真に撮れたかとなると今思い出しても見落としがたくさんあったのではないかと自信がもてません。それほど多くの絵が描かれていたのでした。

長廊を見て歩いたあと、次に私たちが向かったのは8層の美しい寺院建築、仏香閣(ぶつこうかく)がある万寿山です。
長廊のほぼ中央まで戻り、そこから湖を背にして頤和園の正殿である排雲殿(はいうんでん)を通り抜け、山を登っていくことになります。
と言っても途中にある階段のはじめの部分は、先ほど歩いた長廊と似た構造で、屋根つきの美しい廊下となっています。
ここにも同じように極彩色の絵がたくさんあり、修復がされたばかりで、色鮮やかさはここのほうがずっと目立つ感じがします。ここでも鳥の絵だけ選んで写真を撮りました。
この階段状廊下を途中まで登ったところで家内がダウンしてしまいました。カゼの症状があるのと、高所恐怖症なのでこれから先はもう行かなくていい、とそこで私を待つことになりました。

折角ここまで来たのだから、なんで仏香閣を見ずに帰れようか、と言うわけで、私一人で汗を拭き拭き、息を切らして頑張りました。彩色が美しい階段状の廊下が終わってもまだまだ上へと石段がつづきます。
山の中腹にある仏香閣から眺める昆明湖の眺めは、ここ頤和園でもっとも美しい景色と言われています。私も連日の疲労と乾燥した空気でノドはひりひり、でもなんとか自分のこの目でその絶景を見てみたい、その一念でゼーゼー、ハーハー言いながら石段を登り続け、やっと仏香閣までたどり着きました。
いやー、この建物の素晴らしいこと、美しいこと。
湖を見る前に、西太后が特に愛したという8面体、3層の見事な建物と美しい装飾に感心してしまいました。
もともとは9層の塔を建てようとしたのですが、湖の広さに対して細い塔では不釣合いだとして、完成目前であったにもかかわらず、それを取り壊し、上海のすぐ南の杭州(こうしゅう)にある六和塔(りくわとう)をモデルにしてこのようなどっしりとした建物に造り直したと言いますから、時の皇帝の権力、財力を改めて感じます。六和塔は以前に杭州に旅行した折、実際に登って見たことがあるのですが、どちらかと言うと色彩に乏しい田舎の仏塔と言う印象でした。それに比べるとこの仏香閣のなんと色彩豊かで豪華なこと、さすが北京は清王朝のお膝元であることを強く感じます。

仏香閣からさらに上に続く道があります。えーい、ここまで来たら行ける所まで行って見よう、わが身の年齢、体力も省みずさらに上を目指しました。風がびゅうびゅう吹く中、とうとう万寿山のてっぺんまでたどり着くことができました。
見下ろすと、すぐ足元に今見たばかりの仏香閣、さらにその下には正殿の排雲殿、そして長廊が左右に伸び、その向こうに広がる美しい湖、素晴らしい絶景が広がっています。と、そう絶景を受け止めるはずだったのですが、実際にはだいぶん違った印象を持つことになりました。
 なにしろ風が強くて湖面に波が立ち、雲が低く垂れ込めています。時折灰色の雲から鈍い光が差すのがむしろ不気味で、とても絶景を楽しむとは言えない風景でした。ただ茫漠とした広い湖の風景が目の下に広がっているだけのように感じただけでした。ごろごろした岩の上に立っているので姿勢も不安定、そのうえ強い風に目も十分に開けられないほどです。とりあえず足を踏ん張って写真を撮るのがせいいっぱい、落ち着いて風景を楽しめる状況ではありませんでした。
今思い出せば、本来は素晴らしい景色であるにもかかわらず、天候が悪かったせいと、その素晴らしさを感じて楽しめるほど身体と気力の余裕がすでになくなっていたということでしょう。
 すぐそばに休暇で遊びに来ている様子の制服のグループがいました。
若い軍人たちのようです。彼らの一人にシャッターを押してくれるよう頼むと笑顔で引き受けてくれ、昆明湖をバックにした写真を写してもらいました。岩を降りる時には「気をつけて!」と手を貸してくれました。いつものことですが、中国の若者たちの親切な振る舞いに感心します。
山頂部にはチベット仏教を思わせる結構大きな仏閣があり、その軒先に風鐸(ふうたく、寺院の屋根の先に吊るす大きな風鈴のようなもの)が強い風に激しく揺れて鳴っていました。
でも風鐸の作りが悪いのか、材質のせいか、ガラン、ガランと聞こえる音に品がなく、風情を感じることができなかったのと、天気のせいで十分に眼下の風景を楽しめなかった不満がわたしの心に残ります。
それでも思い入れの強かったここ頤和園の山のてっぺんまで自分の足でたどり着けた満足感も感じながら家内の待つ排雲殿へ降りて行きました。

このあと頤和園で、もし時間があれば訪れて見たい、と思っていたもう一つの場所、蘇州街(そしゅうがい)へ最後の元気を振り絞って回って見る事にしました。
明と清の歴代皇帝は、水が豊かで気候も温暖、北京とは文化も異なる江南地方に特別な憧れを持っていたと言います。
特に清朝第六代乾隆帝はその思いが強く、ここ頤和園の敷地内に蘇州の運河沿いの街並みそっくりな商店街を造ってしまいました。
と言っても本物の街と言うわけではなく、運河に似せた池を掘り、その池沿いに蘇州の商店街のミニチュアを作って買い物ごっこを楽しんだのです。
ミニチュアと言っても、北京に住む蘇州出身者を大勢集め、ここに連れて来て実際に住まわせ、皇帝と側近の者たちがここで遊ぶ時には本当に蘇州語でしゃべらせ、あたかも蘇州に行幸して下々の人間と触れ合える疑似体験ができるようにしたと言いますから、なんとも大掛かりなお遊びだったと言えます。
今はこの場所が修復、再現されていて、入場料を払って水辺の小道に下りて散策し、お土産を買ったり、簡単な食事ができるようになっています。私たちも、すでに午後遅い時間になっていたのに昼食をまだ摂っていなかったので、池に突き出た浮き島のような場所にある小さな食堂でビールを飲み、簡単な食事をしてみました。もちろん、従業員たちは古い蘇州地方の伝統的な衣装を着ていますし、料理も蘇州料理と言うわけです。
店の若い店主が水面の向こうをそぞろ歩く観光客に向かって、蘇州語なのか分からないのですが、独特の節回しで呼び込みをする声が水面に響き渡っていきます。
朝からの疲れと乾いた空気の作用か、ビールが心地よく回ってきます。目を閉じてその呼び声と店員の会話を聞いていると、はるか18世紀へタイムスリップしているような感覚を覚えました。

さあ、帰ろうと蘇州街を後にした私たちですが、でもここからがじつはたいへんでした。
バス停のある場所からいつのまにかずっと遠くまで来てしまっていたのです。そこからの帰りの道が遠かったこと、痛む足を引きずりながら一時間以上も歩いてやっと頤和園の門の外に出た時にはもうくたくた、蘇州街のビールの酔いもとっくに消し飛んでいました。
(第16回・頤和園 その二 おわり)


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