北京旅行記第14回目、今回は、宗慶齢(そうけいれい)が晩年に住んだ故居(こきょ)と、そのすぐ近くにある仏教寺院、広化寺(こうかじ)に行った時のお話です。

宗家の、霞齢(あいれい)、慶齢(けいれい)、美齢(びれい)の三姉妹についてはご存知の皆さんも多いかと思います。
20世紀初頭、上海の富裕な実業家で先進的な思想の父のもとに生まれ、揃ってアメリカの大学で教育を受け、激動の時代を生きた宗家の三人の娘たち、長女の霞齢は大実業家の妻に、次女の慶齢は孫文と結婚、末娘の美齢は蒋介石と結婚してそれぞれ波乱万丈の人生を送りました。
故宮(紫禁城)から北約5キロに位置する風光明媚な湖、後海(ほうはい)のほとりに、孫文夫人でった慶齢が1963年から亡くなった1981年まで居住した邸宅ががあり、宗慶齢故居と呼ばれ、記念館として公開されています。故居とは、「かつて住んだ家」と言う意味です。
私たちがここにぜひ行って見たいと思ったのは、一つには「宗家の三姉妹」のタイトルがつけられたメイベル・チャン監督の映画を見て、三人三様の行き方で中国現代史に深く関わった三姉妹に強い関心を持ったこと。
二つ目には、ここ宗慶齢故居はかつて、あのラスト・エンペラー溥儀が3才で清朝最後の皇帝になる前日まで育った家であることです。
と言うことは、西太后の横暴さと、自身の優柔不断な性格ゆえに皇帝になり損ねた溥儀の父である醇親王(じゅんしんおう)の邸宅であったわけで、そんな由緒ある大邸宅に、孫文と早く死に別れた慶齢が一人で住むこととなった背景や、日々の生活の様子を少しでもうかがい知りたい、そんな思いからでした。

宗慶齢記念館入り口の写真 乾燥の激しい北京では水辺に住むことが最高の贅沢とされ、岸辺には緑の葉しげる柳の枝が揺れ、豊かな水をたたえた湖・後海に面したあたりには、王朝時代の昔から数多くの大邸宅が建てられていた場所です。
宗慶齢故居もこの湖に面していて、贅沢なことには湖から水路が引き込まれ、邸内に大きな池まで造られています。
赤い大きな門をくぐると背の高い木々が鬱蒼と茂り、ヨーロッパの建築様式も一部取り入れた豪華な二階建ての建物が三つも並んでいます。
それぞれの建物が資料展示室となっていますが、一つ目と二つ目の建物では、アメリカ留学、孫文との結婚、抗日戦争関係、また中華人民共和国成立後彼女がたずさわった世界平和と女性の権利向上や児童擁護運動などの資料が展示されています。
三つ目の建物が慶齢の住居部分で彼女の日常生活の様子がそのまま残されて展示されています。

27才も年上の孫文との恋愛と結婚は、当時孫文の支持者や友人はもちろん、慶齢の家族からの大反対にあったといいます。
とくに孫文にはすでに妻と子供があり、理想的な社会の実現を叫んだ孫文にしては、妻と子に犠牲を強いる離婚までして、親子ほど年の違う慶齢との結婚を強行したのは不思議な気がします。
記念館内には彫刻や写真、絵画など彼女の実像を知ることのできる多くの展示物があります。しかし、こんなことを言うと不謹慎ですが、どう見てもきれいな女性ではなかったようです。
さまざまな障害を乗り越えて結婚した孫文と慶齢、二人にしか分からない惹かれあうもの、つまり強い愛があった。誰でもそう思いたくなりますが、事実はだいぶん違っていたようです。
のちに慶齢は「愛ではありませんでした、英雄崇拝です。彼が中国を救うのを手伝いたかったのです。」と言ったとか。(角川文庫「宗姉妹」より)

エンジュなのか、ハルニレなのか、私にははっきりした樹木の種類が分かりませんが、背の高い木々が岸辺に青々と茂る広い池。その反対側から、慶齢が晩年を過ごしたと言う、そして何よりラスト・エンペラー溥儀が幼少期を過ごした建物を眺めて一休みしました。
木陰は涼しく、こずえを吹く風がさやさやと緑の葉を揺らす音に混じって小鳥の声も聞こえてきます。
ぼうーっとしていると、中国ドラマ「ラスト・エンペラー」の一シーンが頭に浮かんできます。わずか3才の溥儀が皇帝になるために、いやいやしながら父母や祖母のもとを離れて紫禁城に連れて行かれるるシーンです。
別棟の2階の窓から祖母が「可愛そうな溥儀・・・」と嘆き悲しむ場面がありました。今、自分が眺めている池の向こうにある三つの建物のどれかで、およそ100年前に実際にそんなシーンがあったのだ、いささか疲れた頭にそんなことを思い浮かべながら、実際にその歴史の場に立ってみると、なんとも言えない感慨が湧き上がってきます。
宗慶齢は1981年に88才で亡くなりました。
当時アメリカに住んでいた蒋介石未亡人で、慶齢の妹である宗美齢が彼女の葬儀に参列するか、たいへん注目されたといいます。
しかし、結局美齢は中国に来ることはありませんでした。
仲よし三姉妹であった二人のうち、片や次女の慶齢は中華人民共和国の副主席となり(亡くなる二週間前には名誉主席の称号が送られていた)、三女の美齢はその共産党政権と戦った国民党の総統夫人となり、激動の時代に翻弄され続け、波乱の生涯を送った宗家の三姉妹。
奇しくもこの場所は、清朝最後の皇帝と満州国皇帝と言う悲しい歴史をたどった愛親覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)の育ったところでもあることに私の思いはふたたび戻ってきます。ここはなんと言うドラマチックな場所なんだろう。
湖から時折強い風が吹いてきます。青い空をバックに、風に揺れる木々のこずえを見上げて私はため息をつくばかりでした。

いけれどなにか重苦しい雰囲気が感じられた宗慶齢の邸宅を出た私たちは、その日の次の目的地である広化寺(こうかじ)へ向かうために、すぐ目の前に広がる湖・後海(ほうはい)のほとりを南へ歩き始めました。
湖のほとりには柳の鮮やかな緑が風に揺れ、いかにも北京っ子が大好きな場所だということがうなづけます。冬は一面に凍るので無料のアイススケート場となり、夏は昼の間は水泳、日が落ちる頃からは絶好の夕涼みの場所となるといいます。
と思ったら、本当に泳いでいる人がいるではありませんか。年恰好は50〜60才、おじさん3人がかわるがわる飛び込んで楽しそうに泳いでいます。ただ、水が水泳に適しているほどきれいかといえば、うーん、やめたほうがいいのでは、と思いたくなる程度に濁っています。福岡市の大濠公園の池の水とほぼ同じぐらいの濁り具合です。
また、二十年ぐらいまでは冬になると確実に凍った湖は、最近では滅多に凍らなくなった、これは私の中国語の先生韓さんの話です。
高いビルが立ち並び、車社会となった北京では都市の温暖化が進んでいるのでしょう。昔を懐かしむ老北京人(江戸っ子と似た言葉)にはかなり残念で淋しい時代となってしまったようです。

最後の宦官が晩年を暮らした広化寺の写真 広化寺は宗慶齢故居から歩いて10分ほど、一つ裏通りにあるお寺です。大きいお寺ではありませんが、北京市仏教委員会の本部が置かれているなど北京の現代史の中ではドラマチックな出来事の舞台となった寺院です。
私が興味を持ったのは、最後の皇帝溥儀に仕えた最後の宦官として波乱の生涯を送った「孫耀庭(そん・ようてい)」と言う実在した人物が文化大革命期の前からの晩年を送った場所であることです。
長くなりますのでこの人物についての詳細は省略しますが、7才のときに自ら望んで男性器官を切除して宦官となって、紫禁城に入り溥儀一族に仕えます。彼の生涯はまさに中国現代史そのもので、清王朝の落日、満州国建国と崩壊、共産中国発足、そして文革、現代中国までの90年間、まことに数奇で波乱の人生を過ごした人です。
今回の北京への旅行で唯一訪れた仏教寺院の境内で、数奇な運命をたどった中国最後の宦官であったとされる一人の人物の足跡を確かめた後、私たちは帰途につきました。
暑かったこの日も良く歩きました、その歩数17000歩、ひたすら歩くのが私たちの旅のスタイルとは言え疲れました。しかしその代償としての満足感は十分なものがありました。
(第13回・宗慶齢故居から広化寺へ おわり)


頤和園その1へ続きます。
「もくじ」へ戻ります。
最初のベンチへ戻ります。