北京旅行記の第12回目、今回はキリスト教、イスラム教、チベット密教と異なる三つの宗教の教会や寺院を見に行ったお話です。

日ごろから宗教心のきわめて薄い私ですが、旅行では日本でも中国でもお寺を日程に入れることがよくあります。
それにはいくつか理由があるのですが、まずその宗教なり、寺院創建なり、なによりそこに尽した人物なりの歴史やドラマに惹かれることが多いからです。
一例を挙げれば、中国上海の北西約250キロ、江蘇省揚州市に大明寺(だいめいじ)と言う有名なお寺があります。
ここは、唐の時代に日本への三度の渡航の失敗、16年の苦難のすえ、やっとの思いで渡って来た時は失明していたとされる、唐招提寺を起こし、日本の仏教や建築技術などの発展に多大な貢献をした、あの鑑真和上が住職をしていた寺院です。
昔、中村賀津雄主演の映画「天平の甍(てんぴょうのいらか)」を見て感動し、何が何でもそのお寺には行きたいと思い続けていたのですが、4年前にやっと揚州市を訪れ、念願を果たすことができました。

私はまた、歴史やドラマなどで心を打たれたというだけでなく、建築や仏像などの美しさや、その寺廟を取り巻く自然環境にも関心を持ち、それで訪れてみるということもあります。私のような信仰心の薄い人間がそのような場所に立つこと自体、そこに足を運ぶ信心深い人たちに申し訳ない気がいつもしますが、できるだけ謙虚な気持ちで、またいずれの宗教の場であっても、そこで祈りを捧げる人たちに失礼にならない配慮だけは忘れず、今回も北京で3か所の教会と寺院を訪れてみました。

1.南堂(なんどう)
 北京に現存するもっとも古いキリスト教会として有名です。正式名は北京教区宣武門教会、北京には古い教会が四つあるそうで、そのうち南にあるので普通「南堂」と呼ばれています。
ホテルのすぐ近くにある駅から地下鉄に乗って三つ目、宣武門駅で下りると道を渡ってすぐのところに、回りの町並みとまるで異質な外観をした、そのヨーロッパ風の教会はありました。
今から約400年前、明の時代の中国では「天円地方(てんえんちほう)」と呼ばれる宇宙観がありました。これは天は丸くて地は方形、つまり四角い形をしているという考え方。
またこの時代、中国は世界の中心に位置して全ての国を支配する、と言う、いわゆる「中華思想」がもっとも強固な時代で、皇帝をはじめ支配階級や学者の多くもこの思想に動かされていたと言います。
こんな中国・北京に一人のヨーロッパ人宣教師がやってきて、世界地図を紹介し、当時の皇帝をはじめ多くの権力階層の人々に衝撃を与えます。
その人物の名はマテオ・リッチ。イタリアのイエズス会から東洋、とりわけ中国への布教のために派遣され、たいへんな苦労の末に北京にまでやって来た若き宣教師です。
天文学、地理学、歴史、幾何学などの知識に裏づけされた彼の話には説得力があり、彼がもたらしたヨーロッパの先進的な知識が当時の中国社会に与えた影響と功績はまことに大きいものがありました。
そのため、彼は時の皇帝にもいたく重用され、北京に居住を許されたのです。やがて信者も増え1605年に小さな教会を建てます。
これが北京における最初のキリスト教会です。その45年後、リッチの遺志を継いだドイツ人宣教師アダム・シャールによって、本格的建築による天主堂が建設されました。その後清朝末期近くに大改築され、それがこんにち見ることのできる南堂の美しい姿です。
道路から見える教会の姿はまことに堂々としていて、中世に建てられたヨーロッパの古い石造りの教会そのものの雰囲気です。
門を入るとまず目に入るのがマテオ・リッチの銅像。青銅製で高さ2メートルほど、彫刻としてもじつに立派で美しい姿をしています。
さらに次の庭に入るとそこにあったのは、なんとあのフランシスコ・ザビエルの銅像です。
大きさや美しさはリッチのものと変わりません。二つの銅像はいずれもまだ新しく、この10年位の間に建立されたようです。でもここになぜザビエルが?
私がそんな疑問を持つのは、じつはザビエルは中国には上陸していないからです。ザビエルは日本での布教の後、念願の中国への布教を目指したのですが、こころざしを果す前に病に倒れ、本土を目前にした広東沖の小島で亡くなっています。マテオ・リッチが北京にやって来た30年前のことです。

南堂に立つフランシスコ・ザビエル像の写真 ではそこになぜザビエルの像が建立されたのか、私には本当のところは分かりません。ただ、想像するに、一宗教指導者である以上に、マテオ・リッチが中国の社会や文化に与えた功績が大きく、そのことを現在中国が高く評価し、そのリッチの精神的支えになったであろうフランシスコ・ザビエルにも同等の歴史的評価を下した結果、こんにち南堂の庭に、これらの二つの美しい銅像が立っているのではないだろうか。
私はそう思いながら、中国風の庭園とヨーロッパ風の建築様式の教会と言う不思議なバランスの場所に立ち、400年も遠い昔、万里の波濤を越え、命がけで中国での布教を志した宣教師たちの想像を絶する苦闘に思いを馳せ、二つの銅像を離れがたい気持ちで眺めていたのでした。
(第12回 三つの宗教寺院 その一 おわり)
次回は第13回・三つの宗教寺院 その二をお届けします。

三つの宗教寺院その二へ続きます。
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