北京旅行記の第9回目、紫禁城の続きです。

はじめに、前回間違った書き方をしたところがありましたので、お詫び方々その訂正をさせていただきます。
紫禁城の中軸線上の南にある天安門の、さらに南に位置する通称「前門」正式な名称は「正陽門(しょうようもん)」を、現存する紫禁城の二つの門の一つ、と書きましたがこれは正しい書き方ではありませんでした。正しくは、かって九つあった北京内城の門のうち、現存するものの二つのうちの一つ、と書くべきでした。
昔は北京の街には内城と外城がありました。紫禁城は北京内城の真ん中にあったことになります。城が城の中にある、日本人にはちょっと分かりづらいことです。中国で言う城とは、日本で言う城と言う意味とは全然別で、一般的には城壁で囲まれた都市、街と行った意味です。つまり城塞都市のことです。
中国では南京、昔、長安と言った今の西安など、かつて都や大きな街があったところはみな街を囲む城壁がありました。ヨーロッパの古い都市でも同じことが言えるようです。
北京の内城には東西南北に九つの門があり、この門を通らなければ、外城、さらには地方との行き来ができなかったのです。
戦争や都市計画などで多くの門が壊され、内城の門としては、現在は北に位置する軍事要塞であった「徳勝門(とくしょうもん)」と、天安門の南に位置する「正陽門」つまり「前門」の二つだけが残り、観光スポットとして維持管理されていると言うわけです。

修復工事中の故宮太和殿の写真 さて、話を元に戻しましよう。午門(ごもん)の入り口のチケット売り場で券を買い、私たちはいよいよ巨大な門を通り抜けて紫禁城へと入っていきます。
門を抜けたそこにはまず太和門、続いてその先、広大な広場の向こうには、あの映画「ラストエンペラー」や中国テレビドラマ「ラストエンペラー」でおなじみ、おびただしい数の家臣官僚が居並ぶ前で、幼い溥儀が皇帝になる即位式が行われたあの建物「太和殿(たいわでん)」が堂々とした姿を見せてくれるはず・・・。
と思ったら、あれれれ?おい、おい、奈良の東大寺に並ぶ世界最大級の絢爛豪華なあのすごい建築物がない?
いや、あるにはあるのですが、建築足場に囲まれ、すっぽりとシートがかけられて工事中ではありませんか。
太和門、太和殿、と並んで三大殿堂と呼ばれる次の「保和殿(ほうわでん)」もやはり同じで修復工事中です。
紫禁城の目玉とも言えるこれらの建築物群が揃って修復工事中なのでガッカリ。高い気温の中、前門を出発してもう7キロメートル近く歩いてやっとお目当ての場所に来たというのに工事中で見られない・・・。
ちょっとそれはないよー、私だけではありません、ここまでやってきた世界中からの観光客の全てが一様にそう落胆して、次には腹がたったに違いありません。そんな残念な光景が目の前に広がっているのでした。
入場料返せーっ、と思わず叫びたくなります。せめて半額にしたらどうやーっ。広い紫禁城の900もある建物のうち、三つや四つが見れないぐらいどうってことないじゃないか、たしかにそれは一理ある慰めの言葉です。でも、でも太和殿や保和殿は他に無数にある建築群とはわけが違います。
建築物としての大きさ、立派さ、また壮麗さ、華麗さにおいて、さらにそこで繰り広げられた歴史上のさまざまなドラマチックな出来事において、紫禁城内の他の場所とは重みと値打ちが全然違います。うーん残念だー、ここが見れないのは。
まあ、私は過去に一度見たことがあります。でもその後いろいろと北京の歴史を勉強して、今回は特別な思い入れを持ってやって来たのに・・・。それに初めてここに来た妻には見せてやりたかった、とやりきれない腹立たしさがこみ上げてきます。やがてどうにもならない現実を認めざるを得ないところに気持が落ち着いてくると、ドーッと疲れが出てきました。

後日になって知ったことですが、同じ不満を持ったどこかの国の弁護士が、入場料を返すよう故宮博物院を相手に裁判を起こしたそうですが、残念ながら裁判所から棄却されたとか。
故宮博物院側は謝罪する一方で、「修理中の太和殿を見るなんて今後何百年たっても経験できないかも知れない貴重なこと、そう思えば安いものです」とジョークを言ったそうです。

故宮北端・順貞門外の高くて長い赤塀の写真 憤懣やるかたない思いですが、しようがありません。中央部の広大なスペースを占める修復工事部分を避けて、私たちは両側に並ぶさまざまな建築群と、そうした建物の中がほとんど博物館となっているので、展示物を可能な限り見て歩くことにしました。詳しい説明はしませんが、おびただしい数の歴史的、文化的、美術的な展示物があります。しかし、結局私たちが見ることができたのは多分全体の三分の一ほどだったかと思います。
修復工事中の建物が多かった外廷部分を適当に見たあと、私たちは「乾清門(かんせいもん)」から内廷へと入って行きました。
ここから先にもおびただしい数の建築群が密度を増して存在しており、皇帝や皇后たち、大勢の女官や使用人(男の場合は宦官)の生活の場所であった空間が広がっています。
とても全部を見ることは時間的に無理なので、私たちが映画やドラマで見たことがあって記憶にある場所、例えば、皇帝やお妃たちが遊んだ庭園「御花園(ごかえん)」や、京劇好きな西太后が芝居を見て楽しんだという、豪勢な演劇専門にわざわざ造られた建築物「暢音閣(ちょうおんかく)」などを見ました。
暢音閣のところでは、実際に西太后が芝居を見たという、向かい側の建物の、それも西太后が座ったという場所に実際に座って、目の前の舞台を見上げて見たりもしてみました。
でも、マイクや照明のない時代こんなに離れてステージを見て果たしてどれほど面白かったのかな、私はそんな素朴な疑問を持ちました。

あと一つ、私たちがどうしても見ようと思っていたのが「珍妃の井戸(ちんぴのいど)」です。
今から100年ほど前の時代、溥儀の一代前の皇帝であった光緒帝(こうちょてい)が愛した珍妃は、先進的な考えの女性であったため、光緒帝の皇后と西太后に疎まれ、政変のドサクサにまぎれて西太后の命令で宦官たちに井戸に投げ込まれて殺されたということになっています。その井戸が現存していて珍妃の井戸と呼ばれています。
実際にその井戸のそばに立ってみると以外にも穴が小さくて、こんなに狭い穴から人を落とすことが実際にできたとは思えません。よほど細身の女性であったのでしょうか。
いずれにせよ、彼女が西太后らに憎しみを買った末に殺されたことは事実なので、残虐な行為がほかにも平気で行われていた封建王朝時代の、紫禁城内で起こった多くの残虐事件に思いをはせ、気持が暗く沈んでくるのをどうしようもありませんでした。
気がつけばもう午後5時間近です、北の出口「神武門(じんぶもん)」からは係員の、「閉門でーす、早く出てください」の大声が聞こえてきました。高さ11メートルもある独特の赤い色をした、長く続く外壁の写真撮影に夢中になっていた私たちはあわてて走って門まで行き、またしても後ろ髪引かれる思いで「故宮博物院つまり紫禁城」を後にしたのでした。
最後になりましたが、「故宮」とは文字の通り、昔の宮殿と言う意味です。
結局この日は、今回の北京旅行中で私たちがもっとも歩いた一日となり、ホテルに帰りついた時、万歩計の数字は23000歩に達していました。
このようにして、面白かったけど、でも暑くて、ヨレヨレに疲れた長い一日が終わったのでした。
(第9回 紫禁城 その二 おわり)



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