北京旅行記の第8回目です。

今回から2回に分けて、天安門広場から紫禁城(しきんじょう)へ出かけた時のお話です。
5月14日月曜日。
いよいよ満を持して紫禁城へ出かける日がやってきました。
紫禁城、正しい現在の呼び方は故宮博物院。
ここは北京観光の目玉的な場所です。何がなくてもまず故宮・紫禁城。ツアー旅行で、いの一番に観光客が連れて行かれるところ、それが天安門広場と天安門、そしてそこから入っていく紫禁城です。

天安門広場 今日は私たちが北京に着いてからもう4日目、ここに来る日をなぜ月曜日に選んだのかと言いますと、週末から日曜日にかけてはきっと観光客で満員に違いない、ゆっくりと見て回るにはもっとも人が少なそうな月曜日にしよう、と旅のスケジュールを検討する時点でそう考えてこの日に決めた次第だったのです。結果論から言いますと、その考えは半分正解だったようで、観光客はいっぱいいたものの、押し合いへしあいするほどでもありませんでした。
ホテルを朝9時に出て、まず道路の向かい側にある食品スーパーで、あつあつの焼き餅(餅と言うより具を包んだパンのようなもの)と牛乳、水を買い込み地下鉄でひと駅、「前門」駅下車。
地上に出ると、目の前にそびえるのが前門、正式な名称は正陽門です。世界最大級の城門で現存する紫禁城のたった二つの外門の一つです。
紫禁城の中央を南北に貫く線上の、もっとも南に位置するここ前門からスタートし、まっすぐに北の方向へ歩いて行くとやがて天安門広場、広い大通りをはさんで天安門、ここを通り抜けると午門、ここから紫禁城が始まります。城に入ったところが広大な外廷、そして内廷、最後に神武門まで完全に南北に一直線上に造られています。

まず前門の横庭で、買ってきたばかりの簡単な朝食をすませ、さあ天安門方向へいよいよ出発。
天気は快晴、最高気温は33度になると言う予報が出ているこの日、歩き始めの午前九時半過ぎで、もう30度はありそうで早くも額が汗ばんできます。
前門を出発して歩くと、最初にあるのが軍事的な目的で作られた巨大な箭楼(せんろう)と言う城門です。楼上に上がることもできますが、先を急いでさらに進むと、そこに世界最大の広場である天安門広場が広がっています。
 ここにやって来ると、この広い広場を埋め尽くした学生たちのデモ隊を政府が軍事力で制圧した、あの1989年6月4日の天安門事件がどうしても私の脳裏に浮かんできます。
しかし今、目の前に広がる光景は、中国各地から、また海外からの観光客が大勢歩き回る平和な光景です。
太陽が照りつける広場の中央に立つと、あの時テレビで世界中に流れたショッキングな光景と、若者たちの歓声と怒号が聞こえてくるような錯覚を覚えます。
この広場と、その両側には毛主席記念堂、人民英雄記念碑、そして中国の国会議事堂とも言える人民大会堂などかずかずの建造物、観光名所があります。ここではこれ以上観光案内はやめることにして先に話を進めましょう。

天安門前のものすごい広さの、おそらく80メートルはある道幅の車道を地下道を通ってくぐり、いよいよ天安門に。早速楼上に上がって先ほどまでいた広場を見下ろします。すると再び私の頭の中にあの天安門事件の時の映像がよみがえってきます。
もう一つ頭に浮かんでくるのは1949年10月1日、毛沢東主席がここから中華人民共和国の建国を高らかに宣言した時のシーンです。
今自分が立っているこの場所から、今自分が見下ろしているこのめちゃくちゃに広い広場を埋め尽くした群集を前に、毛沢東主席はどんな思いであの宣言文を読み上げたのか、何度も映像で見た有名なシーンが頭をよぎり、感慨と想像で私の頭を呆然とさせます。
それにしても、中国のなんでもがなぜこんなにスケールが大きいのか。広場も、道も、公園も、建物も全てが大きいと感じるのは、狭い島国日本に住む人間だから特に強く感じられることなのか、いや、それだけではなく、世界中どこの国から来た人でも、この光景を見ればその広さ、大きさには驚くに違いないと思うほど、目の前に広がる光景には圧倒されます。このあと、私にとっては二度目となる紫禁城に入るのですが、進むほどにその思いはますます強くなっていきました。

ここで紫禁城について少し紹介しておきましょう。まず名前の語源ですが、紫禁城の「し」は紫の字を書きます。これは天の中心に位置し、全てを支配するとされてきた「北極星」をあらわす「紫微星(しびせい)」からの一文字。禁は何者も入ることを許されない、との意味。
これで紫禁城と名づけられたと言います。
高さ11メートル、レンガ製の赤く塗られた外壁で囲まれた長方形の城の広さは、東西753メートル、南北961メートル、面積72万平方メートルもあり、もちろん現存する王宮ではずば抜けて世界一の大きさを誇ります。
城内はおおまかに分けると、外廷(がいてい、主に皇帝による公務が行われるところ)と内廷(ないてい、皇帝と皇后、妃や大勢の使用人の生活スペース)とがあり、900以上の建物、部屋数はおよそ9000室からなる気の遠くなるような広さと、豪華壮麗な空間が広がっています。もちろん今ではその全てが博物館としての巨大な展示物となっているわけで、左右にある無数の建物の中には、歴代王朝と皇帝に関する資料や宝物が数多く展示されていて、それゆえに現在は故宮博物院と呼ばれているわけです。
 モンゴル族である元のフビライ・ハーンが築いた原型に、さらに14年間の歳月をかけて完成させたのは漢民族王朝・明の第三代皇帝の永楽帝で、時は今からちょうど600年前。
その後17世紀初頭に今度は満州族の清王朝がこの城のあるじの座を奪います。そしてラストエンペラー(最後の皇帝)、愛親覚羅・溥儀(あいしんかくら・ふぎ)が1924年にここを傷心のうちに出て行くまでの約520年もの長い歳月を、明、清あわせて24代の皇帝と皇后・妃たちがここ紫禁城でさまざまなドラマを繰り広げてきました。

ツアー観光旅行では、ここ紫禁城をだいたい2時間ぐらいで通り抜けるのが普通なのですが、全ての建築物、展示物ををゆっくり見ようと思えばほんとうは1週間はかかると言われます。
私自身はとくに中国の近・現代史、もっと絞れば清朝のたそがれ時にあたる、1800年代終わりごろからの激動の歴史に特別強い関心があるので、数々の歴史的出来事の舞台となったこの場所にはとくに大きな興味があります。
と言うわけで、今回はできるだけゆっくりと見て回りたい、せめて丸一日は時間をかけたい、そんな思いを強く持っていよいよ紫禁城に入って行きました。

故宮の入り口・午門の写真 故宮博物院へは大きな城門、午門(ごもん)から一人60元(!)の入場券を買って入って行くことになります。
午門は進む方向、つまり北へ向かって見ると、凹の字を逆さにした形、カタカナのコの字を90度左へ倒した形をしています。
中央にそびえる高さ約38メートルの主楼と、両側には左右対照の副楼があり、まことに堂々とした印象を見るものに与えます。
世界最大級のこの城門の前の広場には中国はもとより、世界中からの観光客が、今からくぐる門の向こうに待っているであろう壮大華麗な空間を想像し胸躍らせてチケットを買うために並んだり、記念写真を取り合ったりしています。
さあ、私たちも入って行きます。

(第8回・天安門広場から紫禁城 その1 おわり)



天安門広場から紫禁城その2へ続きます。
「もくじ」へ戻ります。
最初のベンチへ戻ります。

class="flt_left"