北京旅行記の第3回目です。

5月12日、北京2日目の朝はホテルの引越しをしないといけないので少し早めに起き出しました。じつは私は窓の外が騒々しいので4時ごろには目が覚めていたのです。前の回にも書きましたが私たちの泊まったこの安ホテルは、交通の要所である大通りに面していたうえ、そこは観光バスの発着所にもなっており、朝まだ暗いうちから団体客が大声で話しながら私の部屋のすぐ下をぞろぞろと通るのでうるさいことこの上もありません。
 車道の端には何十台!のバスがズラリ並んで客待ちしています。
これらのバスは、主として中国国内の観光客、いわゆるおのぼりさんを乗せて、万里の長城、明の十三稜、頤和園(いわえん)、北京猿人遺跡といった、北京中心部からは少し遠い、郊外に散在する有名観光地に出発するバスなのだと思います。

私たちは、前日の内に近くのコンビニで買っておいたパンと飲み物で簡単に朝食をすませ、再び荷物をまとめ急いでチェックアウトし、新しく決まったホテルの方へタクシーで引っ越しました。
そのホテルは地下鉄の次の駅のそばにあり、同じようにバスの発着所もありとても交通が便利でした。
 ちなみに北京のタクシーは初乗り料金が10元(160円)で3キロも走ってくれるので、一人3元、二人6元の地下鉄に乗るより少し高くはつきますが、荷物が多いときなど身体も楽で利用価値があります。

新しいホテルは残念ながら値段は少々高くなってしまったのですが、昨日のホテルに比べると設備はずっと立派で、従業員の服務態度も比較にならないほど感じよく、これから先の滞在中気持ちよく過ごせると思うと、結果的にはじめのホテルでカードが使用できなかった事が私たちにとっても、むしろ良い目に出たかもしれないと妻と話し合ったことでした。

チェックイン後、5階にある部屋でもう一度荷物を解き、暫く休憩した後、前もって決めていたスケジュールどおり、この日出かけることにしていた「天壇公園」に出かけてみることにしました。
「天壇」とは天子の祭壇、天下を治めるものが天子つまり皇帝、その皇帝が五穀豊穣を祈願するための祭壇として作られた特別な建物がいくつも配置された壮大な場所です。
現在ではそれを取り巻く広大な緑地が公園として管理されていて、有料の祭壇が並ぶエリアの外は一般市民の憩いの場所となっています。

 さて、ホテル前の大通りをまっすぐ南へ2キロほども歩いたところにその天壇公園があるので、私たちは午前10時ごろホテルを出発し、歩いて行くことにしました。
天気は快晴、しかしもう気温は30度を超えています。風が異常に強く、オリンピックを控えて道路も建物も町中工事中のところが多いので、時折ひどいホコリが舞い上がります。
 また空気がすごく乾燥していることが分かります。
私たちは通りの小さな食品店でペットボトルの水を買い、ノドを頻繁に潤しながら歩いて行きました。中国の旅行、特に熱い季節の北京を歩く時には一日に2本、3本とペットボトルのミネラルウォーターを必要とします。スーパーやコンビニでは1本あたり1〜2元(16〜32円)ですが、観光施設や公園内の売店では4〜5元もするので毎日となるとバカにできない金額です。面白いことに中国語でミネラルウォーターは鉱泉水と言います。
ホテルを出て大通りを少し行ったところには四つ角に賑やかな場所があり、新世界商場と名がついたデパートがあります。並びには有名な同仁堂薬局の大きな支店もあります。

しかし、そこを通り過ぎると急に古い住宅街が始まったので、っすぐに大通りを歩くのが嫌いな、つまり横丁に入り込むのが好きな私たちは、早速一本の、見るからに古そうな家が立ち並ぶ、胡同(フートンと読みます、もとは元の時代に北京に移り住んだ蒙古人たちの小住宅のことで、フートンはモンゴル語だそうです)の道に入って回り道をして歩くことにしました。
経済発展に伴い、近代的なマンション、オフィスビルなどの開発のため、どんどん取り壊されていく状況にはあるものの、今もまだたくさん残るフートンは、北京の貧しい庶民の長い生活の歴史がいたるところに刻まれている場所です。フートンについてはいずれ別の回に改めてお話しすることにしましょう。

太陽が当たる場所に鮮魚が!  私たちは狭い道を興味深く見て歩き、ぐるーっと元の大通り近くまで来ると、そこに生鮮食品、とくに魚介類を多く売る卸市場のようなところがある場所に出てしまいました。
 こんなところを見るのが何より大好きな私たちは早速市場を覗いて見ます。海産、淡水産の魚、貝、エビカニ、海草類がたくさん売られています。海産物以外、たとえば淡水の魚やエビ、カニ、カメなどはほとんど生かしたまま売られています。
足の踏み場もないほど所狭しと並んだそれらを、どうにか交わしながらたくさんの店が立て込んだ売り場を通り抜けて建物の外に出ると、日のあたる場所にもトロ箱に入ったタチウオ、マナガツオ、グチなどの海の魚が置かれています。
箱の中には氷は入っているのですが、鮮魚を気温30度以上の炎天下の、太陽がギラギラと照りつける場所に置いて販売する感覚は日本人にはとても理解できないところです。
魚については鮮度に高い価値を置く日本人の感覚ではこんなことは到底できないことです。
基本的にはナマで魚を食べない、高い温度の油を使って魚を調理することの多い、中国の食文化の長い歴史がこんな売り方を平気でできる感覚のベースになっているのでしょう。
「ところ変われば品変わる」。中国への旅ほどこの言葉を感じる旅行はないと思います。
普通の人には受け入れがたいことかもしれないことでも、ちょっとしたこのようなカルチャーショックに出くわすことが私たちにとっては中国への旅で一番楽しい部分なのです。

長い脱線から話を戻します。
回り道をしたために小1時間ほど余分に歩いた私たちは、また大通りへ戻って、さらに南へ向かいます。すると真珠や宝石類のアクセサリーを売る大きな店が立ち並ぶ紅橋(ホンチャオ)地区にやってきました。旅行ガイドブックにはここでの買い物を紹介していますが、貧乏旅行の私たちはここはグッと横目に見てパス。
まもなく右手に、天壇公園の屋根つきの背の高い黒塀が見えてきました。一辺が2キロ近い広い公園の中央に、南北約1.5キロ、幅約100メートルの部分に皇帝の祭祀が行われる歴史的遺産がタテに並んでいます。私たちは北門から一人35元を払って入場しました。

天壇公園にて良ちゃんの写真

以下天壇公園については次の第4回・天壇公園、その二に続きます。

天壇公園その2へ続きます。
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最初のベンチへ戻ります。

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