風になれ

 「ティコ」、これは我が家の愛玩犬の名前、体重9.8キロの雑種、白い長毛に被われ、散歩の際、時折「お前、前が見えるのか」とからかわれる。尻尾をくるりと巻き上げ、胸を張っている「伏せ」の姿勢は凛として一見賢く見える。

家内の実家で生まれた6匹の中で唯一の雌犬、ちょっと様子を見に行ったのが縁の始まり、散歩も世話もちゃんとするからと言う二人の娘達の言葉に負け、我が家族の一員となった次第である。だが実際は、どこの家庭もそうであるように、家内がほとんどの世話をする羽目になった。まあ、一番飼いたかったのは家内だったようであるが・・・。

我が家に来たのが生後39日目、3日間夜鳴きに悩まされた。無理やりに母親から引き離されたのだから無理も無い。泣き出す度に家内は抱っこして家の中をウロウロし、眠ると寝床へ下ろす。しばらくすると又泣き始める。赤ん坊のそれと同じであった。

 りんごとみかん、それとチーズが大好物、こっそりと食べることは不可能で、犬にしては鈍いと思える嗅覚であるが、いつの間にか傍に来て座っている。知らん顔をしていると前足で催促する。

 一番好きなのが散歩、朝、家内が着替えを始めると落ち着かない。着かず離れずぴったりとマークし、家内の後をついて回る。ところが、雨の朝は様子が異なる。ついて回るどころか、玄関で「散歩に行くよ」と呼んでも知らん顔、迎えに戻ってくると逃げ回るのである。赤いチェックのレインコートを着るのが嫌いなのか、濡れるのが嫌いなのか、理由は今一つよくわからない。それでも捕まえられると渋々散歩には出かける。

 基本的に、家の中でオシッコやウンチをする事はない。毎日の散歩の途中に済ませる。しかし、時々家の中で失敗している事がある。雷が聞こえたり、花火の音や匂いがしたり、近所で大きな工事の音が続くと、オシッコを漏らしている。そんな時は、尻尾を巻き込み全身が小刻みに震え出し、ソコラ中を手当たり次第に掘ろうとする。我が家の畳はあちこちボロボロになっている。お漏らしの現場へ行こうとすると、妙に愛想が良い。立ちかかってきたり足元をウロウロし、気を引こうとする。新聞紙や折込広告、果ては積み重ねてあった洗濯物が広げられ、その上に被せてある。

 こんな事もあった、丸められたオシッコシートが、下駄箱と壁の隙間に押し込んであり、開いて見ると、中身はティコのウンチ、子供らに尋ねてみたが知らないと言う。ティコの仕業であった。裏返しになったスリッパ、その下にもウンチが・・・。「またやった」と気付く頃、当のご本人は犬小屋の中で小さくなって横目使いにこちらを窺いながら、身を潜めているのである。姑息だが実に可愛い。

 食事の後など、ちょっと横になっていると、両端に結び目がある長さ20センチ程のロープを銜えて現れ、私の手に擦り付ける。一緒に遊ぼうと言っているのだ。銜えたロープの端を持って綱引きをする。これがまたしつこい。いい加減くたびれて無視しているとこれを激しく振り回す。太さが2センチ程あるので、結び目が当たるとかなり痛い。取り上げようとすると、寸前のところでサッと銜えて逃げる。それを何度と無く繰り返させられる。自分が飽きると伏せをしてお腹の下に隠す。このロープを家族は「ガー」と呼ぶ。引っ張り合いをする時にガーガーと喉を鳴らすからである。「ガーは?」と言うと家中を探して走り回る。見つかると、さも嬉しそうに振り回し、見つからないとしょんぼりと「伏せ」をする。これが又可愛いのである。

 我が家の家族の一員となって11年と2ヶ月、犬好き家族ならどこにでも見られる風景なのだろう。家族の不機嫌を全て吸収し笑顔に還元してくれてきた。

 平成19年3月14日、未明、私は、「ティコの様子がおかしいよ」という家内の声に眠りの床から引きずり出された。起きてみると、確かに様子がおかしい。後足が立たず、前足だけで這い回っている。それも非常に辛そうである。呼吸も荒く浅い。家内と娘が、月隈にある深夜でも診てくれる動物病院へ連れて行った。

 ティコは、昨晩も機嫌良く散歩に出かけ、普通どおり餌も食べ、いつもと何ら変わりはなかった。寄る10時少し前に帰宅した私を、ティコだけが嬉しそうに出迎えてもくれた。

 診察の結果、肝臓に腫瘍があり、そこから出血しており、肺にも水が溜まっているとのこと、呼吸を楽にするために貯留している液を注射器で吸い出したところ、ほとんどが血液で600CCもあったらしい。それほどまでに病魔がティコを静かにそして確実に侵していた事を、家族の誰一人気づかなかった。おそらくティコ自身もそうだったであろうと獣医師からも言われた。

 思い返せば、昨秋から、時々咳をするようになっていたが、さほど辛そうでもなかったので、暖かくなったら医者に診せようと話していたところだった。

 手術をしても難しいとの事、止血剤を点滴され、帰宅したのが午前7時30分、もう横になったままで、首をもちあげようともしない。

 しばらく様子を見る事にした。しかしその内、5分おきに誰かを呼んでいるのか、それとも痛みのためか、今まで聴いた事のない声を上げるようになった。私は、このまま見送ろうと覚悟を決めていたが、見かねた子供らが近所の動物病院へ連れて行った。

  家業が鍼灸院、家内と私は、予約の仕事に追われ、子供達からの連絡を待つことになった。二人友無口で鼻水を啜り啜りの状態、家内は今にも声を出して泣きだすのではないかと思われた。患者さんにも、日頃と異なる雰囲気を感じ取られていたであろう。

 そして、等々別れの時が・・・。午前11時を少し過ぎた頃電話で「ティコが今死んだ・・・」との連絡を受けた。いつまでも長引かせても可愛そうだからと病院側から装置の取り外しを促されたと、後で娘から聞いた。発症から9時間、何とも呆気ない最後である。

 午前中の仕事を終え、連れ帰っていたティコに触ると、未だ体温が残っており、今にも立ち上がりそうにしていたが、手足を触ると硬直が起きており、やっぱり死んだんだと実感させられた。子供らは、目を泣き腫らし、テレビもつけず、ただ黙って座り込んでいた。仕事の都合で、その日しか時間がとれない。一晩一緒にいたいと言う家内を説得し、生まれ故郷である家内の実家の山に、午後から埋葬することにした。ちょうど家族四人が揃っていたのがせめてもの救いであった。竹の根が張っている山肌、スコッポと鍬を使い、力を合わせて深めに穴を掘り、手厚く葬った。その脇には、先年死んだ母犬と兄弟も眠っている。

 春には、子供らが福岡を離れる事が決まっており、後に残るのは夫婦二人とティコと信じて疑わなかった。時折吹き荒れる家内の暴風、ティコがいればこそ私への衝撃が緩和されていたのに、その防風壁が突如なくなってしまった。この緊張感は、ヤフードームのフィールドシート最前列に匹敵するだろう。

 まもなく社会に出る子供らに、家族と命の尊さを、身をもって伝えようとしたのか、私と家内に、これからはキチンと向き合い、お互いを大切にしろと伝えたかったのか、家族それぞれがあわただしいこの時期、全員が揃っていた日、午後が休診の日、その日を選んだように旅立っていったティコ、我が家に来てから11年と2ヶ月、家族中の緩衝役として存在してくれた事に、心の底から感謝する。

 季節は別れの春。あちこちで卒業式が行なわれ、私達家族にも否応も無く卒業の時が訪れた。これからの彼女には「千の風になって」の歌誌のように、風となり、私達家族を見守って欲しいと願う。

 治療室と住まいの間のドアを、ティコが入れないよう無意識にロックする癖はしばらく直りそうもない。
最初のベンチへ戻ります。