良ちゃんの北京旅行記も長らく読んでいただいてきましたが、いよいよ今回を最終回にしたいと思います。

2007年5月11日に福岡を出発して北京にやって来た私たち夫婦の旅行はまさに毎日ヨレヨレの連続でした。高い気温、乾燥した空気、街じゅうあっちこっちで行われている工事のせいでホコリが多くて参りました。後半は二人とも風邪の症状に悩まされながら、それでもほぼ予定したスケジュールをこなすことができたのは幸いでした。
北京滞在実質最後になった5月22日は、朝から強い雨となってしまいました。この日は現在急ピッチで工事中のオリンピック・メイン・スタジアムを見に行く予定にしていましたが、雨の量が結構多いのでこれをあきらめ、疲労がピークに達していた身体を休めることにしました。
予定していたことができなかった残念さもありましたが、連日ずっと乾いた空気の晴天続きだったために痛めつけられていたノドが、雨で湿った空気に癒される気がして、むしろほっとしたほどでした。
朝のうちはホテルの部屋でゆっくり休んでいたのですが、最後の日をただジッとしているのももったいないと、例によって貧乏根性が頭をもたげ、孫へのお土産を買いかたがた、無理のない範囲で近くのデパートに出かけて見ることにしました。
ホテルから地下道を通り向こう側に出てほんの少し歩いたところに、「新世界」と言う香港資本の大きなデパートがあります。このデパートの売り場のなんと広いこと。日本の一流デパートでもこれだけ広い店舗はそうはないと思います。中央部は吹き抜けになっていて明るく、シャレた造りです。品物の種類も数も豊富です。
国家としては、中国はまだ開発途上国だ、と自他共に呼ばれていることが信じられないほど近代的な空間がそこにはありました。
ただ、私たちがチョコチョコと買い物をして2階か、3階の売り場を歩いている時、やはり中国だな、と思わせられた出来事に出くわしました。売り場の一角で店員たちが大声で右往左往しているところをたまたま通りかかったのです。見ると、なんと天井からジャージャーと水が落ちているではありませんか。建物の外では雨が一段と強くなってはいたようですが、新しくできたばかりのデパートの売り場、それも最上階ではなく、途中の階で派手な雨漏りがするなど普通は考えられないことです。日ハムのヒルマン監督ではありませんが、よいにつけ、悪いにつけ「シンジラレナーイ」ことがあちこちで起こるのが中国と言う国なんですね。
その後1階のスターバックスで休憩しましたが、コーヒーの値段は日本で飲むより少し高いような気がしました。物価水準で考えると実質的には日本の3倍ぐらいになるでしょうか。それなのに、店内には中国人と思えるお客も結構いて、ここでも人々が急速に豊かになっていることを感じます。

午後はホテルで帰国のための準備、とくに今回は伝統工芸品や茶器などの陶器など割れ物をいろいろと買ってしまったので、それらを壊れないように一つ一つ入念にくるんだり荷物の整理をして過ごしました。ここだけの話ですが、こんな時に、持って行ったタオルや下着類がクッション材としてとても役に立ちます。程度問題ですが、もちろん汚れていても使えないことはありません。

最後の夜は街のレストランでゆっくり食事をして過ごすつもりでしたが、相変わらず雨が降り続いて外出が難しい状況なので、ホテル内の茶館兼食堂で静かな夕食をすることにしました。この店は毎日何度となく乗り降りするエレベーターのまん前にあったので、女性従業員たちとはすっかり顔なじみとなっていました。彼女たちの接客態度もいつも笑顔で丁寧で、きっと気持ちが落ちつく店だと知っていたからです。
幸いなことに、店内にはお客は少なく、ここで静かにゆったりと過ごすことができた時間は、体力的にも精神的にもきつかった旅行の締めくくりとしてはちょうど良かったのかもしれません。
北京最後の夜のメニューは、ヘチマとエビの炒め物など野菜料理や水餃子とありふれた簡素なものでしたが、味もサッパリとしていてくどくなく、女店員たちの親切な接客態度、にこやかな表情と共に、私たちを優しく癒してくれるものでした。

北京最後となった5月23日は、ホテルを午前5時半に出発して空港に向かうというハードな朝になりました。
空港までのタクシーは、すでに前の日のうちにホテルの玄関先で客街をしていたタクシー運転手に声をかけて予約を済ませていました。心配な点は、その運転手が約束どおりの時間に来てくれるか、と言うことです。以前、もう5年も前になりますが、上海の南にある杭州市で、白タクの運転手に約束をすっぽかされた経験をしているので、私としては不安なポイントのひとつでした。
いよいよ最後の朝、4時50分に目覚まし時計の音で起床し、たいていは時間がかかるチェックアウトも順調に済みました。問題は約束のタクシーです。大きなトランクを転がしてホテル前に出て見ると、よかったー、昨日の彼が笑顔でちゃんと待っていてくれました。第一関門突破です。
早朝なので交通渋滞もまったくなく、タクシーはすいすいと走ります。多分今度が最後になるであろう北京の街の風景を、目に焼き付けるように眺めているうちに、あっという間に北京首都国際空港に到着。1時間かかると考えていたのに所要時間はたった35分でした。約束を守ってくれた(当たり前のことですが)運転手に感謝の気持ちのチップをあげて「ツァイチェン!(さよなら)」。北京の街にも「ツァイチェン!」。
かなり早く空港に着いたのですが、中国の空港ではこれでも安心できません。まだまだ関門が二つも三つも待っています。航空会社カウンターでの搭乗手続き、安全検査や出国手続きで、担当者がテキパキ仕事をしてくれないために、時間が足りなくなり、結局積み残しをされて飛行機が飛んで行ってしまうと言う、日本では考えられないようなバカげた目に遭った経験を過去にしていますので油断大敵です。しかし、今回は搭乗手続き、出国手続きともに順調に進みました。
空港での手続きがスムースにできたことは、オリンピックを控えての航空会社窓口担当者や空港関係者に対する接客対応の教育と、システムの改善がかなり成果を挙げているとの印象を受けました。おかげで時間的には充分余裕を持って搭乗を待つことができ、予定していた中国国際航空福岡行き直行便、エアバス320に乗って無事帰って来ることができました。

はじめにも書きましたが、北京には首都としての長い政治の歴史、そして時の権力者に嫌でも振り動かされる庶民の長い生活文化の歴史があります。そうした世界でもまれな歴史遺産が多く残る街だけに、自分の目で見てみたい、そして自分の足で歩いてみたい場所があまりにも多くありました。
今回12泊13日と、ちょっと考えると十分すぎるほどの日程を組んだ旅行でしたが、それでも行きたいところ、見たいところの半分も実現できなかったように思います。また機会を改めて、と言いたいところですが、来年にはオリンピックが開かれるし、それを機に、以後は物価も高くなる一方となるでしょう。それに反比例して私の体力と経済力は衰えるばかり。もう自分の足で再び北京の地を踏むことはないだろう、そう思うと少し心残りもあります。
でも、とにもかくにもこの年齢で、この体力で、毎日平均17000歩以上も歩き回り、多くの場所に出かけ、たくさんの人々と触れ合う経験をしてよく頑張れたと思います。また私たちは二人ともいくらか健康不安を抱えているのですが、今回の旅行が達成できたことで少しは自信につなげることもできました。なによりも思い出がいっぱいできて充分に満足です。

さて、皆さんもすでにご承知の通り、このところ中国製の食品や日用品などの安全性について、また環境問題、人権問題でもいろいろとマスコミが取り上げています。ここ二、三日はダンボール入り肉まんのテレビ報道の件でますますマスコミが騒いでいます。そんなわけで今、中国と中国人に対しては、かつてなく風当たりが強く、厳しい状況となっています。そんな中、たまたま中国旅行の体験記を書き続けることになってしまい、私の心中はまことに複雑で心苦しいところがありました。
確かに中国は問題が多い国だと私も思います。国の建前は共産主義の国でありながら、経済の実態は自由経済国家です。あまりにも早い経済発展に法律の整備や、行政の対応が追いつかない現状があります。役人や一般市民の心の中にも、正しい価値観や倫理観がまだ育っていないうちに、経済だけが一人で先に行ってしまった、そのために社会にいろいろな矛盾が生じてしまっている、現在の中国はまさにそんな感じではないかと思います。
また、10年にも及んだあの文化大革命を経験してしたことで、中国人の心の構造、ことに倫理観が失われてしまった、と言う人もあります。卑近な話、それ以前は必要なかった家の鍵を、文革後は皆が掛けるようになったと言う話も聞きます。中国人同士がお互いを信じにくくなった、信じられるのはお金だけ、残念ながらそんな拝金主義的な風潮が強くなってしまった社会の状況が今の中国にあることは確かです。
そんな社会情勢の中ですから悪い人も確かにいます。これは中国政府もみずから認めていることです。しかし、忘れてはいけないことは中国国民の圧倒的大多数は善良な人々であると言うことです。それはどこの国にも同じことが言えるのではないでしょうか。
中国が世界中から信用される国になる道のりはまだまだ遠いかもしれませんが、少なくともすぐ隣に位置する日本との関係においては、国と国、人と人、そのどちらも世界のどの国よりも互いが信用できる、そう皆が思える日が早く来て欲しい、中国大好き人間の私などはそう願うばかりです。

以上を持ちまして、「良ちゃんのヨレヨレ北京旅行記」を終わりにさせていただきます。20回もの長い間、お読みくださいました皆さん、本当にありがとうございました。関心をもってくださった方が思ったより多く、途中で励まして下さった方たちもありました。そんな皆さんに心から感謝します。一方で関心のない方には長期間にわたり、ご迷惑をおかけしましたことをお詫びします。
最後にもう一度、お礼を申し上げます。
「謝謝(シィエ、シィエ)!」、そして「再見(ツァイチェン)」。

最初のベンチへ戻ります。